プリプリの歴史はここから始まった。 〜TDKレディスバンドオーディション〜

2023年12月29日更新

下記のリンクはネットの検索で見つけた記事です。
掲載誌:季刊ヤングセンス(集英社)1983年春号
見つけたサイト。



この記事の著者さんは 「このオーディションで選ばれた5人はやはり光るものがありますかね、他の参加者に比べて。」 とおっしゃっていて、なんかわかるような感じ、同感します(もうひと方も含めて)。
このヤングセンスという雑誌は画像検索をかけると、1960年代末から「明星ヤングセンス」というタイトルで出ていることがわかる。
明星の別冊か増刊号からスタートしたのだろうと思う。

運よくこの雑誌を入手する機会に恵まれたので、画像を掲載します。
季刊ヤングセンス(集英社)1983年春号より

この雑誌写真のページ最下段左下が鈴木祥子さんだという(16歳)。当時は山崎祥子名義で活動していた??  よく見ると、何となく面影があるか…


オーディション時の写真

オーディション写真は1983年のヤングセンスから。
背景がみな同じという点からするとオーディション会場で一人ずつ取った可能性がある。
そして下段写真はこのの配置にした。

再結成の2012年 1989年
1993年


奥居香/岸谷香 

奥居香
(b) 奥居香 15才 東京
オーディションのため、1週間で4kgやせたんですよ。

奥居香/岸谷香
2023年は感謝祭、Sunset Party、初めてのツーマンライブ、ひとり旅、バンドライブと目一杯やりたいことをやった1年になった。
香ちゃんはブログ(まずはこれを読んで)で「高校受験で、いきたい学校に合格していたら、私は100%オーディションは受けていない。」と言っていた。

岸谷香オフィシャルブログ2014年2月11日記事。  2014-02-11 ラケット


模試ではA判定だった志望校に落ち、どうにか入学できた学校が嫌で、「1年でやめてやる」と、やめる口実を探して見つけたのがこのオーディションだった。
あるラジオ番組でこんなことを話していた。 香ちゃんのお母さんはすでに亡くなっており、生前に聞きそびれたことがあったそうだ。 「どうしてオーディションを受けて、赤坂小町に入るのを許可してくれたのか。」ということ。 「私の長男がオーディションを受けた頃の年齢に近づいてきていて、長男が同じようなことを言ったら反対している。 なぜ許可してくれたのか、母の真意が知りたかった」、と話していた。 オーディションを受ける条件として大学受験をすること、が出されたというのは他でも聞いている。



渡辺敦子 

渡辺敦子
(g) 渡辺敦子 18才 千葉
レディスバンドで世界一目立ってみたい。夢は大きくね。

渡辺敦子
2014年12月30日、加奈ちゃんとともにライブ「Go 50 Go 〜おかげさまで半世紀〜」に出演。
滋慶学園の専門学校の校長・障がい児の放課後デイサービスの経営者などと、プリのメンバーで最も多忙な毎日を送っている。
あっこちゃんは高校卒業後の進路として看護学校を受験するけれど落ちてしまった。 どうしようかと悩んでいたときにお母さんが渡してくれたのが、このオーディションの広告だった、とエッセイ「いつも心にDIAMONDS」で語る。



今野登茂子 

今野登茂子
(key) 今野登茂子 17才 埼玉
ブラスバンドで甲子園に行ったの。個性を生かしたいな。

今野登茂子
2015年1月25日、藤沢市民マラソン親子ランの部に出場。



中山加奈子 

中山加奈子
(g) 中山加奈子 18才 神奈川
自分の感情をg(ギター)で表せるようになるのが目標ね。

中山加奈子
毎年年末は、あっこちゃんとともにライブ「Go 50 Go 〜おかげさまで半世紀〜」に出演。



富田京子 

富田京子
富田京子 17才 神奈川
中学の時に吹奏楽でパーカッションをやっていた。選ばれたい。
きょんちぁんは1位になった子が辞退したため、繰り上げで赤坂小町のメンバーになった。

富田京子
2015年1月25日、藤沢市民マラソン10マイルの部に出場。記録更新おめでとう!!
2017年、高橋尚子杯ぎふ清流ハーフマラソン2017完走!! すっかり走る女になった、凄い。
きょんちぁんが湘南ビートランドで話したことによると、TDKはカセットテープメーカーとしては名前が通っていたので、親からオーディションを受けていい、という許可が出たと話していた。 きょんちぁん、オーディションのことについて書く。


富田京子オフィシャルブログ2016年2月20日記事。  2016-02-20 急いで初変



赤坂小町のメンバーになっていたかもしれなかった人とは…

この方です

鈴木祥子さん

赤坂小町のオーディションでドラム部門1位になり辞退した、と言われているけど。
当時は山崎祥子名義で活動していたか?
山崎祥子、現在の鈴木祥子さんか?
(dr) 山崎祥子 16才 東京
ドラムセットが買えないから、椅子を叩いて練習したんだ。

2011年10月26日リリースのYou Take Me,You Make Meジャケット。
You Take Me , You Make Meのジャケット
↑上記の写真だけで似てると判断するのはあまりに早計なので、↓↓下記のサイトの写真も参照してほしい。あとGoogleの画像検索も。


Wikiの経歴によると、元SMOKY MEDICINEメンバーの藤井章司に師事し、本格的にドラムを習う、とある。 このオーディションと同じ年開催の、ヤマハEastWestの地区大会でレディース部門・最優秀ドラマー賞を受賞している。 Wikiに書かれているのはここまで。 で、Wikiには書かれていないが赤坂小町のオーディション、ドラム部門1位を辞退したとされる。
ヤマハEastWestは、サザン・子供ばんど・SHOW-YAなどそうそうたるバンドが出場し、桑田佳祐さん・久保田利伸さんがベストボーカル賞を受賞しているすごいオーディションだ。 本格的にプロを目指すなら、メジャーなオーディションと、カセットテープメーカーとしては知られていてもレーベルとしてはあまりメジャーではない所のオーディションだと、メジャーな方を選ぶかなぁ。
1992年4月〜1995年3月の間にbay-fmの「Music Pulse on Tokyo Bay」のパーソナリティをしていた。 ネット検索によると、その番組に香ちゃんがゲストで出た際にオーディションの話になり、香ちゃんが「うまいしキレイだしこういう人が受かるんだと思った」と話したと言われている。
香ちゃんがプロデュースしていたpeachy(現・石井里佳)さんに、2001年4月18日リリースされた「ユメミルチカラ」の歌詞を書いている。


鈴木祥子さんのオフィシャルサイト Shoko Suzuki Official Site
鈴木祥子さんのオフィシャルブログ 鈴木祥子のアナログ音楽日誌
石井里佳さんのオフィシャルサイト Ishii Rika Official Web Site





関連リンク

nonchan1967のブログ こんばんは、赤坂小町です。 こんばんは、赤坂小町です。
鈴木祥子さんのオフィシャルサイト Shoko Suzuki Official Site
鈴木祥子さんのオフィシャルブログ 鈴木祥子のアナログ音楽日誌
石井里佳さんのオフィシャルサイト Ishii Rika Official Web Site


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