音楽座時代
〜JULIAN MAMAからプリンセス・プリンセスへ〜


1984年12月29日、この日のイベント終了後、所属事務所をTDKレコードより音楽座に移籍した。プロデューサーの鷲田氏の紹介だ。 ここでバンド名が「JULIAN MAMA(ジュリアンママ)」になる。 音楽座は小規模な事務所で、所属はJULIAN MAMAだけだった。 このJULIAN MAMA時代はアルバムやシングルのリリースはなかった。 この事務所では年下の香ちゃんが一番かわいがられていた。

3月22日、浜松女子商業高校の新人歓迎会。すごく忘れられないライブだったという。 メンバーは卒業生を送る会か何かだった、と言っている。 見ず知らずのバンドの演奏に生徒たちがワーッと前に詰めかけたという。 「初めてこれがライブだ!という感じのライブをやった」「あれがなかったらこの先続けていく自信はなかった」そうだ。

音楽座はかなりのスパルタ方針の事務所で、間違えるたびに「その間違いを説明してみろ!」と説明を要求されたり、作った曲を散々ダメ出しされたりした。 理想はかなり高いが音楽のことは分かっていない事務所だったようだ。 しまいには外部が作った曲を自分たちの曲だというように教育されたりした。いわゆるゴーストライターというやつだ。 歌詞は作詞家なりたかったらしい社長が作ったものだった。 ここでも事務所に対する不信感が溜まっていき、何があったかは分からないけど香ちゃんが髪を切られてしまったことで爆発する。

でも悪いことばかりじゃなかったらしい。 音楽座時代に洋楽・邦楽のいろんな曲のコピーをやらされたこと、アレンジのやり直しなどをさんざんやらされたことが、あとになって良かった・役に立ったとメンバーは語る。
この音楽座時代にサウンドアドバイザーとして片野悦郎氏が付いた。 片野氏は解散までサウンドアドバイザーを務めた。


プリンセス・プリンセスへ
1986年5月21日、バンド名をプリンセス・プリンセスに変えてCBSソニーよりミニアルバム「Kissで犯罪(クライム)」でデビュー(再デビューと言うべきなんだろう)。 ジョニー・ティロットソンの曲にプリンセス・プリンセスというのがあり、そこからとったらしい。 名づけ親はムーンライダーズの岡田徹氏。岡田氏が「Kissで犯罪」をプロデュースした。 「Kissで犯罪」と「TOKYO彼女」のプロモーションビデオは、MVディレクターの五月真理矢さんの監督制作。 この「Kissで犯罪」のプロモーションビデオをシンコーミュージックの事務所関係者が見たことがきっかけで、シンコーが彼女らへの接触、移籍交渉を開始することになる。 女の子バンドの成長物語のアニメを製作していて、それのモデルとなるバンドを探していたという。 「漣流」(音楽出版社刊)によると、きっかけは漫画家の藤臣柊子さんと山田うさこ(小林ぽんず、これは当時のペンネーム)さんがシンコーのスタッフだった斎藤よんさんにプリプリを紹介したことに始まるそうだ。

1993年4月3日NHK総合で放送された、「ヒーロー列伝 とっておきナイト プリンセス・プリンセス いつまでもグローイングアップ」内で山田うさこさんの出演場面。
1986年頃、山田うさこ(当時のペンネーム:小林ぽんず)さんはメンバー全員が女の子というバンドのマンガを描いていた(タイトル未詳)。 シンコーの関係者がそのマンガを見て「モデルになったバンドはいるの?」と尋ねてきた。 山田さんは「モデルはいません。メンバー全員が女の子のバンドがあったらいいのに、という願望をマンガにしたんです」と答えた。 そのやりとりのことを友人の藤臣柊子さんに話すと、メンバーが全員の女の子のバンドを知っているという。 それがJULIAN MAMA(すでにプリンセス・プリンセスとして再デビューしてたかも)だった。 実際にライブを見に行くと、私服の加奈ちゃんはかっこいいロック姉ちゃんだったのに衣装に着替えたらダサくなった、などと話されている。

ジョニー・ティロットソンのプリンセス・プリンセス ジョニー・ティロットソンのプリンセス・プリンセス
1960年代の曲。音楽座時代のプリプリはライブのオープニングにこの曲をかけていた。

8月19日、シンコーミュージック社内のリハーサルスタジオで移籍のためのオーディションが行われるが、この時点では移籍には至らなかった。 音楽座サイドがプリプリを手放そうとしなかったことや、オーディションを見たシンコーサイドの社員の反応があまり良くなかったことが原因であったようだ。 しかし、当時シンコーミュージックの出版営業部の事務職社員で、後に彼女達のマネージャーになった「市ヤン」こと市村恵美子さんは、彼女達のライブを生で見て「このバンドはいける」と思って、社長の説得にあたった。 当時の社長は草野昌一氏、作詞家として漣健児のペンネームを持つ。通称センム。 その社長から出された移籍の条件は市ヤンがプリプリのマネジメントをすることだった。 「そんなにいうならあなたがマネジメントをやってみなさい」、ということだろう。 この条件を聞いた市ヤンは「やります!」と即答したそうだ。 返答が少しでも自信のないものだったらシンコーミュージックには入れなかったらしい。 えらいぞ市ヤン!! (この話はきょんちぁんが人づてに聞いたもの) 市ヤンはマネジメントの話が出た時は正直言って迷ったという。 それまでの事務職から仕事が180度変わってしまうわけだし、メンバーの中に入っていけるか不安もあったそうだ。 しかし、市ヤンがいなかったらその後のプリプリは存在はしなかった。 プリプリに多大な貢献をした人で6人目のメンバーと言っても過言ではない。 現在は香ちゃんのマネージャーをやっており、何かにつけ「ねぇ市ヤン」と頼られる存在。 時々、加奈ちゃんのソロライブの手伝いもやっている。 ブログ「岸谷香談」のアップロードとコメントアップは市ヤンがやっている(ブログ開設当初、おそらく今は別スタッフ)。

しかし「漣流」(和田彰二著 音楽出版社)によると、きょんちぁんが人づてに聞いたという話とはだいぶ違ってくる。 社長の草野昌一氏はCBSソニーから資料を入手しプロモーションビデオを見て(プリプリを移籍させること)を即決した。 8月19日のライブは移籍のためのオーディションではなくデモンストレーションのライブだったと書かれている。 「TOKYO彼女」「モーション・エモーション」など2〜3曲を演奏したという。 「草野センムは反対意見がほとんどだったとしてもやる人だったんですけどね(笑)」と市ヤンは言っている。 ライブの1週間後、市ヤンは社長とエレベータで乗り合わせ「マネージャーをやってみないか」と言われる。 「一緒にいればいいんだから」と言われるが、「できませんよ」と笑って答えた。 が、3日後には人事異動が伝えられる。 社長の中で決まってしまっている以上嫌も何もなく、相談した母親にも勧められ覚悟を決めてマネージャーを引き受けた。

「漣流」の内容は取材をして書かれているのでむしろこちらの方が事実に近いと思う。 読んで思ったことは、オーディションというかデモンストレーションライブを見た社員みんなが反対意見だったとしても、草野社長は何とかしてでもプリプリを移籍させたのではないだろうか。

社長の指示でマネジャーの市ヤン、企画制作の斎藤よんさん、宣伝の峰岸さんの女性3人だけのプロジェクトでプリプリのマネジメントとプロモーションがスタートする。 音楽座から移籍するまでは、音楽座との共同マネジメントという形をとっていた。

11月3日、所属事務所の音楽座との話し合いを経て音楽座からシンコーミュージックに移籍する。 話し合いの前に「腹が減っては戦ができぬ、じゃん」と、加奈ちゃんがコンビニに入り焼きそばパンを買って食べたというエピソードがある。 きょんちゃんの著書「プリンセス・プリンセスだった」の修羅場の現場にこの話し合いのことが書かれている。 メンバーがそれぞれの役割を果たした。 香ちゃんと加奈ちゃんが今まで言えなかった事を話す。 きょんちゃんは感情を沸点に持っていって机に突っ伏して泣いた。 話のしめはあっこちゃん。登茂ちゃんは音楽座にいる間に作った曲のテープを持ち出した。


Kissで犯罪ジャケット 「Kissで犯罪」
1986年5月21日リリース。

01.Kissで犯罪
  作詞:松井五郎、作曲:中崎英也
02.少女アマゾネス
  作詞:佐伯健三、作曲:岡田徹
03.AB/AC
  作詞:佐伯健三、作曲:吉川洋一郎
04.TOKYO彼女
  作詞:松井五郎、作曲:プリンセス・プリンセス
05.優しい殺意
  作詞:麻生圭子、作曲:岡田徹
06.くちづけはお早めに
  作詞:佐伯健三、作曲:松浦雅也
「TOKYO彼女」のみが作曲プリンセス・プリンセスとなっており、他は外部の作詞・作曲となっている。 ミニアルバムの扱い。


「Kissで犯罪」で作詞を担当している佐伯健三さんは、ミュージシャンでパール兄弟を結成していたサエキけんぞうさんのこと。 歯科医として勤務していた時期もあった。 香ちゃんも治療してもらったことがあるとブログに書いている。 2015-04-15


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